タロットしょうこ=鷹嘴(タカハシ)しょうこです。

前回はカードリーディングについて書きました。今回は占いについてです。

 

 

  占いとは・・

 

「占い」と言うと ある種の先入観をもたれる方もいらっしゃると思います。

 

しかし、占いの歴史をたどると 「政事=まつりごと」と「祭事=まつりごと」が明確に分離していなかった太古より、

人心の及ばない事柄や 国の命運を分ける重大な決定に

天意や神意を伺う方法として行われていた儀式が発祥です。

つまり人事を越えています。 エゴを越えた 神聖な行為や儀式から起こっています。

 

この「占い」の古い形は、

日本では 神社の祭礼に数多く残っていますが、日本の基盤、農耕と結びついている形のものが多いです。

 

小正月の頃に各地で行われる「予祝」として その年の作柄を占うものがあり、粥占いなどもそうですね。

あらかじめ豊作を言祝ぐことで 豊かな実りを 天と約束するものなのでしょうか。

やはり 日本の言葉の持つ 霊力に思いを馳せますね。

 

祭礼の歳占には 土に根ざした人々の純粋な思いがみてとれ 心動かされます。

人事だけでは図り得ない 自然の恵みに対しての畏敬の念を そこに感じるからです。

 

古来「占い」とは、天意や神意をおしはかるための 神聖なもの。祈りのような行為だったのでしょう。

 

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 現代の占い 

 

洋の東西を問わず行われていたこの「占い」ですが、

今現在の私たちの行う「カードリーディング」や「タロットリーディング(タロット占い)」はこの流れを汲むものですから、

静謐で とても神聖な行為です。

 

 

 

わたしたち人間は 沢山の側面をもって 様々の次元の事柄をこなしつつ 生きている訳ですから、

生活を回すためには、ある種の鈍感さも必要で、自分の中の本性である神聖な我、、、という存在を忘れて生きていることも多いです。

 

けれど、人生の必要な時期に大きな動きが起こり

一歩も動けない・・・そんな時期がやってきたとしたら・・・

 

自分にとって大事な問題になればなるほど、混乱は深く、何をどう表現したらいいのか言葉もみつからないはずです。

 

 

超えた後には、あれは魂からのコーリングだったと はっきりとわかるわけですが、

嵐の渦中にあるときは、後にも先にも動けない日々は苦しいことです。

 

そんな時に「占い」をすることは、何も恥ずかしいことではありません。

 

人は自分の人生も 環境も 全てコントロールしていると思って生きていることが多いです。

けれど、どれほどのことが、自力だけでできるのでしょうか。

いかにも、あやふやです。

 

自分の例で恐縮ですが、

東北生まれの私は、尋常でない我慢強さです。今の人なら「ムダに我慢強い」と表現するかも(^^;)です。

人に頼るのも下手です。そんな私でさえ 人生でうまくいった時というのを思い出せば、

何かしら 自分の力だけではないものを感じますし、むしろ自分の力では無かったのがわかります。

 

人生の順風の時、人は往々にして

自分で全てをコントロールできているという思い込みを強くしますし、

知らず知らず、 ある種の自信過剰を作り上げます。

傲慢に気づいていませんし、静かで小さな命に目が行きません。

活発な、動きのあるものに心奪われます。

 

やがて、逆風が吹いて 前にも後にも進めない自分になってみて、やっと

 

思い上がりに 自ら気づいて 愕然とします。

力みを手放す時がやってきました。それまで積み上げた思い込みが崩壊する時です。

 

そうなって やっと人は コントロールを手放すことができるのではないでしょうか。

昔の人はそうなった時に天意を伺う と表現したのでしょうから。

 

天の意を伺うことは 自分の本心を探り、最善の対策を取る方法でもありますが、それ以上に

深く自分の人生を振り返る、非常に稀で貴重な時間を取ることでもあります。

 

だから、「占い」をすること自体を恥じてほしくないと思います。

その自分を 恥じて欲しくないと思います。

 

むしろ

自分の人生を よりよく創造する手立てを実行に移す自分を 堂々と受け入れて欲しいと思っています。

 

 

ただ天に「任せる」ことしかできなくなって、

天地にたった一人 ひっそりと佇み立った時、

「占い」は、昔と変わらず「天の意」を伺う道としてそこにあります

 

 

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その天とは どこにあるのでしょうか??

 

天とは、自分の中にあります

自分の本性が天であり、

その本質は 愛と慈悲です。

 

本物の「占い」はこれに気づきをもたらします。

 

「占う」ことは 真実 神聖な行いです。

天=我=自分の本心を探る行為 が神聖でないわけがありません。

 

 

 

それでも

「占い」に対して あまりいい感じをもたれない方が多くなった背景には、

占い師の質が関係しているのです。

次回はそのことを書いてみますね、どうぞ お楽しみに。

 

ご覧いただきまして ありがとうございます。